あれからまた約2年

二年近く経って、また春節が近づいている。
このところ、西暦の年末はおろか、和暦の年末にも、一年間を振り返って次の一年間の抱負を考えたり計画を立てたりする余裕がなくなってしまった。若いころは、いまよりずっと長い労働時間でも、そのくらいのことをしたり、あるいは友人によるの近況まとめや抱負を読んだりする余裕があった。また、合唱活動などに意識を振り分ける余裕があった。
今その余裕がないのは、仕事時間以外で、情報をチェックしたり勉強したりする時間が長くなっているためもある。周りに自分より詳しい人だらけの環境ではなくて、自分たち一人一人でスキルや開発を進歩させていかなくてはならない状況にあるから、ついついそうなってしまうのだ。
ただ、純粋にそれが理由というのではなくて、惰性という側面もある。チェックすると決めていたサイトのフィードをチェックするのだが、その内容を精査して絞り込んだりは長いことしていない。情報収集という名目で、必要な領域からかなり外れた情報まで見に行ってしまったりもしている。また、体力や健康を少し損ねているために行動のパワーが落ちている側面もある。いろいろな理由でそうなっているのだ。
若いころと比べると、昔は、労働時間が長くても、週末にはまとめてテレビを見ていたりしていたと思う。けれども、近年は、テレビは殆ど見なくなった。ニュースも、音楽番組も、バラエティも、クイズも、スポーツも、教養も、連続ドラマやアニメも滅多に見ない。せいぜい純邦楽をたまに見るくらいか。絵のようなものを描くこともなければ、楽譜を読み書きすることもなく、自分のサイトのコンテンツを追加することもほとんどなくなった。つくづく、何もしなくなったなと思う。
それでいて、本来のやるべきことが見事に消化されているわけでもなく、いろいろとToDoが溜まりがちになっている。

今度の春節以降はさらに、時間の使い道を業務関連周りに絞り込み、効率化を図っていきたいと思うところである。

あれからまた一年後の春節祭を終えて

今年も春節祭が終わり、いよいよ本格的な春が到来しそうだ。
この一年間は、結局人生上の大イベントは起きなかったものの、仕事上のスキル向上のプレッシャーに対峙しつつ、そしてそのための努力の方向性に問題があるのではないかと自問自答しつつ、練習と学習と情報収集の日々を送ってきた。
これまでの処、将来に向けて安心して胸を張っていられるだけのスキル獲得はまだ遠い先の話で、生涯勉強し続けるべき必要性は確定のようだ。

将来仮に、例えばIllustratorやPhotoshopから全自動でWebサイトが書き出されたりするようになったら、コーダーとしての私はお払い箱であるし、他の業務分野も自動化部分がどんどん増える可能性がある。同じ仕事の出来る人の数に比べて人手の必要な作業の量が減ったら、下手で遅い人から仕事が回って来なくなる。どう考えても、安閑とはしておられない。
現に、私が社会人になって最初の一年間に覚えた仕事には、20年近くたった今、この世にその職種も存在しないものがある。別の職務を覚えたからこそ、今も生きていられるのだ。
古代だったら、これほどまで急速に仕事が変わり続ける時代は、数百年に一度くらいの割で訪れるものだったのではないか。完全に隠居できるのが何十年後になるのかは分からないが、野垂れ死にの可能性も要覚悟である。

今年も春節を終えて

気分的に殆ど休まる感じのない西暦の正月から早くも一ヵ月。旧暦の春節のお祝いも、ゆっくり楽しむ間もなく終わってしまった。ライブや演奏会からも、暫く遠ざかっている。
確定申告やバラの冬剪定の時期なのはいつものことだが、今年は自宅の十年ごとの改修、火災保険の更新、そして職場の資格試験など、細々と面倒なことが多い。足元の仕事が落ち着いている時期なのが、まだ幸いであるが、難病が悪化する一方の両親のこと、自分の病気のこと、スキルの維持向上など、片づけることは当面続きそうだ。
そんな中でも、笛を吹いたり、仕事以外の本を読んだり、毎日少しづつでも気分転換の時を持てるのは幸せなことだ。それに加えて、軽い運動や庭園散策をしたり、一日を振り返って日記を付けたりする時間を持てれば、もっと充実感があって幸せだろう。

静かな歳末

前の投稿から半年も放置してしまいましたが、どうやらお陰様で
今年も無事終わりそうです。

昔ほどではないにしても、結構忙しい年でしたので、やるべきこと、
やりたいことを正月休みまでに溜め込んでしまい、そのために、
どこにも遠出しない、ライブも行かない、正月らしいテレビ番組等も
一切見ないことに決めて、自室引きこもりを敢行しています。
……うーん、たかが一週間ほどじゃ終わらないんですが。
とりあえず、雑音を最小限にして、半ば缶詰め状態です。

バジャン会に参加しています

合唱団を辞めた最近は、その代わりにバジャン会に参加しています。
バジャンというのは、ヒンドゥー教やスィク教の讃美歌の一種で、礼拝の際に、会衆一同によって歌われます。その場の全員で神のために歌うものですから、本来、舞台芸術ではありません。私も、そうした宗教音楽の生の場に臨席しています。個人個人が我を出したり、毀誉褒貶を気にして歌うことが戒められる、祈りの場の音楽です。
ですが、時には芸術として、プロの音楽家によって舞台上で奏でられることもあります。

実はまだ旧暦の睦月でして

如月に入るのは、明々後日なのですが、日が長くなり、今日はいかにも春の、それも仲春の陽気です。
それだけに、「きさらぎ」の語源を「〔寒いので〕衣を更に着重ねる(=着更着・衣更着)」だとする説は、明らかに間違いであると思います。手元の広辞苑第五版にも、それは間違いって書いてありますし。
この辺りでは、梅は満開。様々な木々の芽動きが始まって、いかにも春です。
まだこれから猛吹雪が来そうな、まだまだ冬の地域があるのは知っていますが、近世より前、「きさらぎ」って言葉がもっと普通に使われていた時代の、日本の政治文化の中心は関西ですからね。

春節おめでとうございます

明けましておめでとうございます。こちらは穏やかでよい朝となりました。
庭の水やりなどをしてきたところです。

世の中、きな臭くなってきており、自分のこれからも見通しが立たない状況ではありますが、楽しめることは楽しんで、胸を張って生きていきたいと思います。

和暦の歳末に寄せて

東亜伝統の暦での年変りが、あと2週間以内に迫ってきた。中国ではもう、連休シーズンに入って、帰省ラッシュが始まった、との報があった。
年賀状に「迎春」「頌春」などと書く風習は、この伝統の太陽太陰暦に基づくものである。立春付近に元日が来るから、そこからは徐々に寒さが緩んで春に向かう、というということだ。今の西暦(グレゴリオ暦)のように、まだこれから寒さが厳しくなる時期(昼はだんだん長くなるが)に新年を迎えるのでは、これから春、という気は全然しない。

そういうわけだから、伝統の行事や風習と結びつけるとき、私は和暦で考えるように努めている。睦月・如月・弥生……という和暦の月名も、本来そうだった日付に合わせて考える。「さくら」の歌詞で「弥生の空は/見渡す限り」と謳うのも、弥生が概ね西暦の四月に相当するから季節に合うのであって、三月ではまだほとんどどこにも桜は咲いていない。

従って、今は「師走」である。今日は師走の16日。一年で最も寒くなるはずの時期に、暦通りの寒波が襲っている。このピークが終われば、西暦の2月10日、ようやく本来の正月が訪れる。そこからの一か月が「早春」であるから、「早春賦」の歌詞に「春は名のみの風の寒さや」とあるわけだ。

日本では明治以来、年号でも西暦で年が変わるようになっているから、今が和暦で「何年」とは呼びづらいが、とにかく歳末である。旧正月には休みもないけれども、私たちの住む神戸では、中華街にて「春節祭」が毎年催され、その界隈が身動きとれないほどの大盛況となる。私もそこへ行って、新春を祝うのが習いだ。

西暦の年末は慌ただしくて、本当の意味で前年を振り返り新年の計画を練るのには相応しくないから、私は自分の生活の上で、年変りらしきことの本義を和暦に回したい。確定申告などと併せて。

箱根駅伝が終わって

今年は、テレビの前でずっと観ることはしませんでしたが、気にかけていました。
優勝した日本体育大学は、私にとっては、系列の幼稚園を卒園したところ。
30年ぶりの総合優勝、おめでとうございます。
二位の東洋大学は、その昔に受験合格した上に、卒業生の友達もいる、
学風の好きな大学。
三位(復路優勝)の駒澤大学は、敷地のすぐ傍で育った、地元の大学。
いつも一番応援しているのは、ここです。

ちなみに、上位勢では、明治大学は、父の出身大学。
早稲田も、卒業生の友達が何人もいて親近感がある。
出場していた東京農大は、付属の高校を受けて合格していたところ。

そんなこんなで、成人してずっと住んでいるのは神戸ですが、関東の大学には
ふるさとに準じた親しみを持っています。
沿道に行くことはしませんが、また来年も報道を見て応援したいと思います。